昭和44年11月18日 月次祭
入力者=末永静行
※初めて「地真水心」という御理解でたときではなかろうか。
福岡に修行中の時分は毎日荒戸の教会に日参を、朝晩お参りをさせて頂きました。あちらの当時の三代目に当たられます、吉木辰二郎と言う先生、大変お徳を受けられた先生でございました。
その先生の日にちお取次を頂かせて頂いたのですけれども、大坪さん、金光様のご信心をさせてもらうならね、億万長者にならにゃいかんよと、ね、私は毎日その事をここの信者一同のものが、どうぞ、日勝り、月勝り、年勝り、代勝りのおかげを頂いて、一人一人が億万長者にならせて頂くことを願いとしておると言うて、いう、また、御祈念の時なども大きな声で、いわゆる、これは福岡の御流儀ですね、先生が御祈念をなさる時に、一人一人の名前をいうて願ってくださる、その、こちらで拝ませて頂きよって聞こえるような大きな声で、はぁーどうぞと言うて、その、それを願っておられました。一人ひとりが億万長者にならせて頂く事を、もう、本気で願うておられると言うような御祈念でございましたです。
私もそれを祈られる通りに直にお取次を頂きますとです、大坪さん、お道の信心をさせて頂く者は一人ひとりが億万長者にならなきゃいけんよちいうてから仰っておられました。
私も、そういう願いを持たせて頂くもんですけれどもです、ですから、どうぞ、そう言う一人一人が億万長者にならせて頂けれるほどしのおかげを頂けれる、一つ受けものをね、造らせて下さい、そういう信心を分からせて下さいと言う願いに変わってくる訳でございますよね。
今朝の御理解などを頂いておりますとそうです、ね、願ごうても、願ごうても、ね、願いが成就しないならばです、それはどうも願いの筋が間違(まちご)うておるから願い変えをせよと言う御理解でした。もっと本当の筋の通った所に願い変えをせよ、願いの桶を変えよと、ね、それこそ、一つの執念のように一生願い続けておかげにならんなんて、そんな馬鹿な話があるもんか、それは、願いどころのポイントを間違えてるんだと、願い変えをせよと言う御理解でございましたね。
それは、お互いの信心の過程におきまして、決して皆が皆一流じゃありませんのです、ね、もう、私はもう自分の事だけどんどんおかげを頂く人もあるんです、ただ、もう商売繁盛のことだけを願ごうて、本当にお繰り合わせを頂いて毎日毎日参ってお礼参りをしてきとる人があるんです、ね、ですから、それは、信心のです、だから、そういう願いをしておかげを頂けれる時にはしっかり頂かにゃならんけれども、それが受けられなくなったら願いを変えていかなけきゃ、もっと高度なところへ願い置き換えをしていかなければならんのです、ね。
今日、ご神前の中央のお菓子箱の一番下に、のりのお供えがあっております、こちらに見えるところに、そののりの、のりと書いてあって、それの商標がついておるのが、うん、なんじゃったかな、内での小槌の意味なんですね、「福の土」と書いてある、内での小槌でしょう、ね、と言うマークののりがお供えになっております、それを、私気がつかなかったら、御祈念中にそれをしきりに頂くんです、と見たら、福土って書いてあるんです。
今朝方、もう御祈念がすんでから、あー、一時間ぐらいした時でしょうか、末永さんがここへやってまいりましてから、先生、今日は御祈念中に繰り返し繰り返し頂きますことが福の寿と頂きます。次に谷の寿と頂きますというお届けでございます、福の寿、親先生、谷のこと、先生どういう事でしょうかっち、私はその時、ちょうど私の心の上に一つの、これはどうしたものかなと思うておることがございました、と言うのはおかげを頂きまして、豊美の結婚式があのように、まあ、本当に麗しく、もう、勿体ほどしのおかげを頂きまして、あちらからも豊美がまいりまして、おかげで要約落ち着きましたと、金光家ご一門のご披露、お友達のご披露つづきました、それから、要約あれだけのたくさん頂いていっておるお荷物の整理を夫婦で一日かかったけれども、とうとう出来なかった、けども、まあ、まあ、どうやら、その、新婚夫婦の部屋らしゅう部屋になりましたというて、その、いうてきております。ね。
ですから、あのような、その、まあ、こことしては大変なことでございましたし、まあ、どんなに考えましてもですね、私、私共ぐらいな娘が縁につきますのに500万からの支度金がいるのにて、夢思わなかった事だったんです、勿論お金は無かったんですから、皆さんご承知の通り、というて、なら私が総代さん方にそれをいちいち相談したわけでもないですけれど、ね、始めは100万の計画でされましたのが、段々200万になり、300万になり、350万になり、とうとう結果は500万になってしまいました。それの支払いが先月の、今月の10日に終わらせて頂きました。
まあ、ご承知の方もございますしょうけれども、この18日と言う日は、ここの御造営の借入金の支払いが元日共に50万づつ支払い、現在48万払っております。あの、ご承知のように5ヵ年計画でここの御造営が始められたのでございますからね、そのようにして御払いをしていきますと、5年後には、その、無くなると言う計画の元に、進められました。 ですから、どんなに考えましても、その、その時に全部支払いを10日の月次祭の日が全部ここの支払い日でございますから、その中にむつやが50万ほどあったんです、それで茂さんが、なら50万次ぎ払わんならんから、そんなに入ってくるはずが無いでしょう、ね、たった一週間あまりのことでございますから、それで、あの、(笑い)中に十三日会がありますけれども、それだとてもそんなに入るはずが無い、もう前に分かってる、毎月の、いわば、水は、毎日の水揚げと言うものが、ここの、ね、ですから、久保山さんが大変心配してから、むつやのだけは後回しにして頂きましょうとこういう、けれども後回ししたって、払うのはあるのですかちいうて、無いのですかちいったら、いえ、その、がつがつ払うのはあることはあります、そんなら、んならそれ払うとって下さい、後は後、神様にお願いさせて頂きましょうやというて、まあ、それから、お願いさせていただいたところがやっぱり、毎日同じような、その、いわば、水揚げなんです、売上ですよいうなら、ね、今日が今日まで、昨日ぐらいから少し、その、こう神様の働きが始めよったなあといったような感じではございましたけれども、とてもとても50万と言うようなことは、まだ半ばでございました、昨日までは。
今朝から、茂さんがやってまいりましてから、今日参りますから、どうぞ万事お繰り合わせを頂きますように、なら、ちょいっと、ここにあるお金ば調べてごらんというて、お初穂を今朝からし、全部調べさせてもらったのと、通帳を全部出させて頂きましたら、え~、30万でしたかね、30万もありました。あんた、そんなら、あんた、ほら10何万足らない、けれども、今日、まあ、必ず取りにくるじゃけん待ってくださいというのも、その、まあ、いうなら、おかしなこと、それは、まあ、私は腹を決めて、はぁーおかげを受けきらなかったから、これは、もう、詫びていくほかに無いと思いよった。
そこんところに、ちょうど、その、末永さんがやってまいりましてから、「福の寿・旅の寿」というお知らせを頂いたと言う事を申しますから、私はその事をどういうことであろうか思うてすぐ神様へお取次をさせて頂いた。そしたらね、②●、御心眼に、あの、あれは、人徳天皇でしたね、人徳天皇が、あの、たらこの、町をご覧になって、着物で立っておるのをごらんになっておる絵を皆さんごらんになった事があるでしょう、ね、とにかく、冷え仕切った京都の町がですね、奈良の町ですかね、奈良町時代ですから、が、その、もう、煙が立ちかねると言うほどしの、まあ、逼迫した状態にあると言う事を教えになって、ね、三年間、また三年間というふうに免税になされました。天皇陛下は、もう、それこそ、大変なご修行でした、もう、屋根が落ちかかるほどしになってもご忠言を許されなかった、ご自身も、もう、限りの始末倹約をなさって、ね、一般谷草のために祈られたと言うお話が残っておりますが、ね、その、情景を頂くんですよ●。
はぁー、これが谷の寿なんだなと、谷の寿と言うたらここでどういうことであろうか、これは、私がおかげを受けるという事よりも、先ず、ね、ご信者の一人一人が、おかげを受けられなければならない事だと私は思うた、これは、その事のための修行が私はいるなという事を思わせて頂いた。ね、一人一人の皆さんがです、ね、福の寿のおかげを頂かれなければいけないのだと、そのためにはです、なら、私が人徳天皇じゃないけれどもです、ね、一つ本気で修行させていただこうと言う気にならなきゃいけないなと、ははぁーこれは神様が恥ずかしい思いをするぐらいな事は問題じゃないなぁと、はじめて私は今日はおじいちゃんにお金を借りに行きました。
おじいちゃん、よう、あの年金をずうっと頂かれます、お二人とも、それで、おそらく10万、20万ぐらいまだ持っちゃるち思うたもんですから、あの、そしたら、まだ両親は休んでおりました、私は本当に始めて親に、その、金を借りると言う事は、なかなか、いいにくいもんですね、親でも、もう、明日ぐらいはどうかなるだろうから、ちょいとだしとって、それが、父が起きてから、それは、あんたそればってん、あれはありゃすりゃもんでもよかばってん、あんた、この頃、御造営費の時にみんなお供えしたばのうちいいなす、それは、どんこんできんな、なら、よかばってん、まあ、2、3万残っとりゃせんじゃろうかちばあちゃんがいいますもの、とにかく、スマヨに電話で聞いて見てくれんのち、郵便局に勤めておりますから。
それで、私がすぐスマヨに、とにかく、なら、あるだけでよかけん、後から光昭を送りにやるから、あの、あるだけ出しといてくれんかと言うてしましたら、ちょうど、高橋さんと茂るさんと二人で行ってくださったわけ、6万円あったらしい、それで、( ? )取りに来たその6万円を添えたお賽銭箱も今日は引っくり返してしもうた、ここの通帳はもう二万円いくらぐらいある、小さい金まで全部出してしもうた。
そしたら、先生、600円たりませんちいうのに、ならちょいと御初穂ば見てみろちいうたら1200円、その、また、朝、お届けをした後の開いた後が1200円あった、600円余りました。まあ、今日は大変な、言うならば、今までの合楽の生き方とはちょっと、その、違ったね、お賽銭は必ず24日しか開かないことになってるのを今日開いた、そういうようなこともです、ね、まあ、本当に逼迫した時の、けれども、考えてみるとです、ね、例えば、口でこそ50万の金ですけれども、600円足らん位な事で神様は何とはなしにお繰り合わせを下さっておる、いわゆる、父が持っておる、その、何がしの金の方まで神様は計算に入れておられたなあと、ね、とにかくお賽銭の中にいっとるとが、確かにお賽銭には2万ぐらい入っとるけん、2万何千円か入っとった、(笑い)もう、本当に、ギリギリ600円余っただけでお支払いが済ませていただいたがです、これは、その事だけじゃありますまいが、やはり、やはり、福の寿を頂きます前にですね、いや、信者の一人ひとりがおかげを頂きます前にです、ね、そういう修行を神様が求め給うなと私は思わせていただいた。 今日は茂さん、これは後の、まあ、後話なんです、もう先生今日はしかし、もういよいよやっぱいかんと思うておりましたけん、先日、文男先生に相談してから、(笑い)、あんたから預かっとるあのお金ば使わせてもらうかん知らんけん、いいでしょうかち言うてから相談したけど足りた、勿論、よかどこじゃないというとったそうですから、いよいよここがでけん時にはその金を使うはずだったらしいですけれどもです、まあ、神様がやっとカット、その、おかげを下さったんだ、やっとかっとと言う事でも、しかし大変な事だと思うのです、ね。
そういう、例えばですね、皆さんが、の一人ひとりが福の寿を頂く、いわゆる、谷の寿なのである、ね、信者が、一人ひとりが億万長者にならせて頂くほどしのです、基礎を作らせて頂く信心が今こそ出来なければならない時ではなかろうかと私は思う、ね。
昨日、ある方が、そこの、若社長さんと一番番頭さんと三人で、三人がかりで、あの、トラックに載せてから大きなじゅうたんのお供えがございました、終戦後、7万円で造られたという事ですから、時価100万円は下るまいと言う、大したじゅうたんです、それがね、お供えになりまして、どこに敷こうかと言うて、とにかく、今おおせつ間にそれを敷かせて頂きましたが、もう、それこそ、おおせつ間にあつらえたように寸法、きちーっと填まってしまうんですよ。ほりゃー、皆さんごらんなさいませ、見事なじゅうたん、それこそ、今いろいろ置いてあった調度品が今度はおかしゅうなるぐらいに、その下が立派になりました。ね。
今日も、今、文男さんがここにお供えしました、着物は時価25万円の着物だそうです、それに、今日は仕立てが出来たからというて、今、お供えさせてもらいました。嘘のような話でしょう、ほぉりゃ百万円のじゅうたんてんなんて、(笑い)25万円の男の着物が25万って、本当に嘘のような話ですけれども、事実だから仕方が無いのです、ね。
そういうような、まあ、おかげを頂いておりますけれどもです、いわゆる、私は億万長者のおかげと言うのは、億万のお金がここに貯まると言う事じゃないと思うんです、ね、億万長者の生活が出来ると言う事だと思うんです、ね。
ある人が言われました、とても、先生のような生活は億万長者でも出来ません、それは、贅沢をしておるってそういう意味じゃないです、ね、もう、心も外も、色々な意味合いに於いてそうなのです。
その方が、昨日、日田の方です、ちょうど、夕方、もう日の暮れになりましたから、それを敷き終わってしまってからお茶でも入れておりましたら、もう、夕食の準備がでけておる、昨日は、もう、月次祭、明日が月次祭といったような時には、もう、( ? )には何もかもこう打ち上げておるような自分です、ね、そしたら、あの、御飯の準備が出来たと、ね、そしたら、昨日はね、その、うち牡蠣ですね、牡蠣です、果物の柿じゃない、牡蠣のお供えをたくさん頂いておった、だから、家内が牡蠣フライをしておりました、それで、夕食を頂いておりなさいと、今日はね、今朝から、あの、日田からやっぱお参りがあったんですよ、ったら、コンヤク屋さんが参ってきました、それでコンヤク屋さんがあちらの石ゴンヤクちいうんですかね、芋コンヤクをね、今日はたくさんお供えを頂いておるから、コンヤク丼がでけておりますから、コンヤクで一つ夕食を召し上がってくださいと、と言うて、その、夕食の準備を見ましたら、勿論、コンヤクもありましたけれども、まあ、牡蠣フライのそれを、今日、その、そこの( ? )お参りをしてきてからです、言いますことがね、内の大将は、もう、牡蠣フライが一番の好物だそうですね、、神様の本当に御都合っちゃ恐れ入ってしまいますでしょうが、もう、何かにつけて、この頃から二、三回お参りされてから、ここでの在り方と言うものがです、余りにもうそのような見事なおかげを目のあたりに見せていただいてです、昨日と言う昨日は、もう、本当にこう言うおかげを頂いておる中にもです、こう言う悩みがございますと言うて話を昨日はしみじみして帰られました。
そのコンヤク屋さんの話からでございましたがね、その、コンヤク屋さんが、あぁー、佐田さんのところの、遠い縁に当たられる方なんですよと、そしたら、その、日田の方なもんですからね、佐田さんを知っておられる、佐田さんがあの酒屋をしておられる時分にしばらく行っておられた、そこのと一番番頭さんがですね、私は昨日ばっかりは、昨日夕べも皆さんに聞いてもらったんですけれども、自分がほめられておる様な気が致しました。
もう、佐田さんを周囲が知らずやら分からんとです、その方は、ここの信心しよる事もしらんとですよ、そのコンヤク屋さんの信心の佐田さんちいう人はもう本当に大した人でしたちいうてから話すとですよ、どんなんところがたしか、大したことだったですかち、第一、人物がですね、立派でした。とにかく奥さんの里が、もう、もう、それこそ、誰が言っても、もう、これは、思わず立ち上がることの出来ないような中に、あの夫婦であちらへ行かれてから、あれがね、その時分のお得意さんというのが、その方もやっぱ酒屋さんですから知ってる訳です、お得意さんがもうほとんど外れてしまった、それを、もう、ものの見事に、ずうっと回収してしまわれた。
それから、その、商売の在り方のね、その、素晴らしいのに、日田商人がね、日田を巻いてた玉がありましたち、三人が回る間にそこがおかげを頂いた、ね、そして、その、もう、私はいっぺん取り引きがあってから、お金をまだ貰いに行っちゃならない時に、ちょっと、手形が落ちませんから相談に行きました。そしたら、久留米言葉で、その、いつの、いつまでいんのっち、こういわっしゃった、それけん、何時なんじまでですちいうたら、なら、用意しとこうちいうたけん、行ったら、もう、きちっと用意して頂いておった、もう、そのへんの素晴らしい事は、とにかく久留米商人と言いや、もう、その、後、行った後は草も生えんと云われるけれども、この人は久留米商人のよかところばーっかりもった人ですよ先生っち、昨日いうて下さるんですよ私に。
私は黙って聞きよった、まだまだあったんですよ、それからね、あそこを引き揚げて変える事がまた素晴らしかった、それをあちらの妹さんに養子を迎えてあってから、そのままゆずってから帰られた。ところが人間中心、とにかく人物ですよ、ね、もう、それ、たった何年しかたたんのに、今はですね、とにかく大将があんまり動かんっち、あそこの大将は、もう、とにかく佐田さんの素晴らしい事はね、体をしんなさらんでも、とにかく、番頭の二人前ぐらい働きなさる、まあ、ほかにも色々ほめ言葉が、まあ、もっていわれてから、聞いてしもうた後にです、私がいうんですよ。
あの人はあんた、ここのご信者さんですよ、もう親子、孫、毎朝、朝の御祈念に参ってきます、あの時分も日田からやっぱりお参りになりよりましたがねちいうたら、はぁー、そうですか、金光様の信心しよんなさったですバイねと言うて感心されました、その一番番頭さんが。
先ほど、大和さんが、今日農協に行って、大和さん、あんた合楽の金光様に参りよるげなのうといわれた時に、皆が自分を金光様の信者と知っておるが、果たして、金光様の信者らしい生き方が出来ておるだろうかと猛反省をしたと言う意味のことを先ほど前講に話しておられましたがです、私は佐田さんを前にしてですね、私は褒める事はあんまり好かんですけど、けどその人がいわっしゃった通りです、ね。
とにかく、人物がすばらしかち、それでいて、とてもぬけ、決して抜けたことさっしゃらん、そこはなるほど久留米の商人ですと言うてからですね、まあ、お話をしておられました、ね。
私達がですね、本当におかげを頂かせていただくためにはです、成る程、金光様の信心をしよるけん儲けでたという事だけではなくてです、その、その、人物そのものがです、ようなかなければ駄目なんです、ね、ようなからなきゃちいうか、変わらなきゃ駄目なんです、いわゆる、何事にも信心になれよと仰る信心にならなければ駄目なんです。
勿論、あの当時から、佐田さんはもういちいち、日田に帰る事も御神意を頂いたことでございましたし、お酒屋ということは、もう、本当に、勿論、初めてのお商売だった、けれども、商売の道には変わりはないとして信心での商売がです、とにかく、日田の同業社が、とにかく、まあ、日田を巻いて驚いたと言う意味な事を言うておられます。ね。
そしてから、とにかく全払いが美しか事で有名だった、何時といったらピシッとした事だった、ね、私の方では番頭達が、その、話を聞いてからですね、その、どげん云わっしゃったですかね、いつまでいんのっち、それがですね、一つの流行語になったち、自分方の、いわゆる、基本的にいつまいんのっち久留米言葉でその番頭達が言うぐらいに、まあ、その当時ですね、その、皆が感心したと言う意味の事を話しておられます。ね。
いつまでにいんのっちいうたら、いつまでにきちっと、例えば揃えていかれる、いわゆる、何事も信心になれよと言うことはです、身をもっておかげを受けておられると、ね、その後、久留米に帰られてからの、いわゆる、佐田さんの生き方にしてもそうです、ただ熱心にお参りをしておるだけじゃなくて、あー言う、現在の商売があのような風にです、変わっていく事は誰しもあんなには夢思わなかったほどしのおかげが、現在佐田さんの店の上にも現れております。ね。
段々、いわゆる、谷の寿というかね、福の寿の、いわば、基礎、基礎がですね、そのようにしてでけていきよる訳なんです。ね、何回しか参ってこんのに、ね、何十万もするような立派なものをです、ね、平気でお供えできるというほどしの人ですから、この人もなかなか大したもんです。ね。
先日、その息子さんがいう、いうておりました、先日から、大舞の招待で京都へ参りました、大舞で20万円以上お買い上げに対する、なんか、切符かなんかがあったんでしょう、そして、これはあちらへ行ってから、この、37万円の帯を買(こ)うてきた、それで、内はもう手形でギュウギュウ言いよるとに、その( ? )37万円払うてと言うからとこういう、37万のような時じゃない、それこそ、まだ60万も70万もするような着物を作っておられる、そして、あんたグズグズ言いなさんな、あんた内の財産バイちいうてから買わっしゃる、ね、これは、まあ、自分が買うだけじゃない、例えば、その、定員達の一人ひとりの上にもその、そういう意味合いに於いての思いやり非常に強い、ね、やり方が、例えば美しい、ね、その中でですけど、なかなかワンマンなところがあってから、非常にやはり、その、厳しく言われる事がある、ね。
私はその方の事をお願いさせて頂いておりましたら、頂きますことがですね、②●、地真、地の真、ね、地真水心と頂きました、ね、( ? )、地の真、ね、それから、水の心、それを私が、その方がですね、もう実にその天真爛漫な方なんです、ね、ですから、本当に天真爛漫な方だから、この人がこれにどういう信心を頂いたら本当の意味でのおかげになるだろうかと、言うような事を思わせて頂いておりましたら、いわゆる、地真水心という事を頂く。
地の真、水の心、ね、天真というてる、天真というのは天真爛漫と言う天真は、天の真と書いてあるでしょうかね、ね、それこそ、桜の花が咲いたような、その、爛漫な様子とでも申しますか、ね、いわゆる、花爛漫とこう申しましょう、これは、私が今願っておる事がですね、福岡の吉木先生じゃないですけれども、一人一人の氏子が億万長者にならせて頂く事を願いとしておる、また、金光様のご信心をさせて頂くなら、一人一人が億万長者にならせて頂く願いを持たなければならない、為には、そう言うおかげの頂けれる道なのだから、そう言うおかげの頂けれる道を体得しなければならん、そう言う信心の徳を受けていかなければならん、それにはどう言う信心をさせて頂いたらよいか、生まれつきに天真爛漫な心をもっておる人が、ね、それに、例えば、地真水心の心が頂けた時にです、私は、もう、絶対間違いの無い、ね、それこそ、桜の花がいっぺんに咲き誇ったような華やかなおかげになっていくだろうと、だから、その内容としてはです、どうしても、地真水心がいるのです。
地の真、ね、それは真と言う事は皆さんたいてい分かるでしょう、水心という事も分かられるでしょう、ね、水の心と言うのは素直と言う事なん、器に従うと言う事なん、高い所から低いところへどう言う障害があっても、どんなに障害があっても、たまり溜まって、それを越えて流れていくと言うのが水の性質なのである、ね、こう言う器に移せばこの通りになり、三角の器に移せば三角のものになってしまうと言うのが水の心なのです、ね。
そう言う、私は水心、水の心といったような心を頂いていく信心修行、真の限りを尽くすと言う事はです、地の真、天が与えて与えて止まない心にあるならばです、例えば、その、日田から参ってくる人は、もう、与える事が非常に好きな方、まだここに何回かしか参ってこんのに、それこそ百万もするじゅうたんばお供えするやら、ね、20万もする着物ばお供えする、参ってくるたびに何やら色々、その、お土産を持って、なら漬をこの頃少し、少しどんもってくるあんたひと樽もってくるちうごたる、ならその、生き方のかたまり、とにかくもうその与える事の好きな人、成る程天は、もう、与えて与えて止まない者が天なのです、ね、もう限りなく与えて止まない、そう言うものを持ち合わせておる、そこんところをここでは、限りなく美しゅうなろうと言うように申します、ね。
だから、それだけではいけない、ね、それだけで、例えば桜の花を咲いたようなおかげになったら必ず散るだろうと、ね、それが、咲きっぱなし、いよいよ、その先起こる、花のような花がむしろ、段々広がっていくほどしのおかげを頂く為にです、ね、ここでは梅の花の信心が必要だ、柳の信心が必要だといわれておる、ね、そこんところをです、ね、私は天心水心と頂いた、天の真、嫌、地の真、地心ですね、地真水心、そこで地真水心とはどのような信心をさせて頂いたらおかげが受けられるかと言うような事をです、皆さんが思わなきゃいけません、なら、皆さんにまだ天真がかけておるならです、その天真を頂くためにはどう言うような信心にならせて頂いたら、ゲサクな心を、ね、惜しむ心、汚い心と言うものが取れるかと言う事を先ず頂いていかなきゃいかん、ね。
天真になる事、地真になる事、水心になる事、ね、そこに、私は日にちのそこの焦点がです、日にちの修行に掛けられる、はぁーここが水心にならにゃんところバイなぁーと、ね、ここが地の真を現わさなきゃならんところだなあと、地の真とはどういう真と思うですか、ね、地そのものが誠実そのもの、どう言う汚い物でも黙って、どう言う嫌な事でも黙って受けて、しかもそれをです、ね、それを、(沃土よくど?)に化していく、素晴らしい土にそれを、むしろ自分の肥料にしていく、これが地の真なのである、ね、そして、そこからまた現していく、いろんなものを育み育てる所の力が養われる。
私もそれをね、それはもう、理想であって夢だと言うような風に頂かずに、本当に天真爛漫なおかげを頂かせて頂くという事と同時にです、地真水心の信心が身についていく、そう言う信心を日にちの修行、日にちの家業の行の中に頂いて行けれるのがお道の信心なんです。それを生活の、特別なものじゃないのだ、生活の中に頂いていくのである、現して行くのである、ね、そういうおかげをですね、頂かせて頂こうと、やはり、ね、発願しなければいけん、一心発起しなければ、ね。
今日、夕方、食事をさせて頂いておりました時に、その、豊美が大変、可愛がっておりました猫が、一匹子猫が死にました、行く前、だから、一匹親のほうが残っております、栄作と言う、その、名前です、佐藤栄作さんの栄作を貰って、ですから、これはもう、王者のね、、風格をもっとるからこの猫は、これは名前を栄作につきるちいうところで、その、栄作ち言う名前をつけなさったそうです、そして、ね、ここに頂いた。それけん、えいちゃん、えいちゃんというて呼んどる訳ですから、ね。
それを皆が言うんですね、こん奴ばっかりは、ほんな泣くコツばっかりぬいちから、もうモジモジこらせんな、もう、とにかくもう、なん、美味しかものなん食べんとです、絶対、もう猫したっちうばってん、あれはしらごつですよ、熱かうどんでないと食べん、うどんでんなんでん、それけん豊美はフウフウち噴いてから食べさせよる、それは、もう、贅沢な猫なんです、だから、ねずみなんか取ったこと見たことがない。(笑い)
だからですね、もう、ネズミも取らんごたる猫ならばいらんちいうことじゃない、私はネズミを取る猫よりもこの猫は素晴らしいち私は今日言いました皆に、なぜかちいうとあんた、これだけ広い所にあんたネズミがカタッとせんじゃないかち私はいうた、ね、問題はカタッといわしさえなさんどきゃよかでしょうが、大事なものをかじったり、ゴソゴソ出てきたりするのがいかんのであった、おってもそれをカタッてさせん猫であるということは、やはり、王者の風格を持った猫といわれておるが、やっぱり栄作さんがとあると私は思うたですね、いや本当です、ね。(笑い)
だからね、ネズミばとらなければね、その猫の値打ちはなかじゃなくてから、もうネズミがカタッといわんごたる、ね、その威力をもっておるその猫そのもの、それが、私はいい猫だと思います。いやですもん、猫がネズミを取ってから血生くさでこうとですね、こんなのとりよるとを見たら、もうネズミでも可愛そうになる、けれども、そういうことは絶対しない、もう、それこそ、熱かもんしか食べんちいうごたる風に贅沢はしとるけれどもです、ネズミはカタッともいわせんという所に、内の猫の素晴らしさがある。ね。
ですから、信心でもやっぱり同じことが言えれるのじゃないでしょうか、ね、どうでも一つ私共がですね。
今日、あの、村山さんがお参りをして、まい、熱心してお参りをしてみえます、妹さんの信心から入信して、そして、信心の有り難さが少し分かってきた、今日はどういうことをお届けされるかと言うと、先生、この頃おかげ、今朝から、あの、妹さんが参ってきてから、もう、兄と二人で信心の共励をさせて頂くと、もう、夜通しのように夜を徹してお話を致しますとこういう、そして、私よりも分かりようございますち、今日ここに来て言われるのは、先生私は最近人相が変わりましたと自分でいう、と言うほどしに内容が変わってきた、本当にその事をお礼を申し上げてくださいちいうて今日言われました。ね、だから、そこん所をお互いの信心がね、おからなければいかんのです、ね。
さぁー明日は( ? )お願いします、はぁーおかげを頂いて、お繰り合わせを頂いた、まあ、今日、今日の私のようにいいよった、ね、なるほど、それがおかげじゃろうけれどもですたい、それはちょうど、私はネズミをとっとるようなものじゃなかろうかと思うんです、ね、そう言うことはいわんでもじいっと、言わんでも済む、ね、あぁーそうですか、いくらですかと、その時佐田さんじゃなかばってん、いつまでにいくらいんのっち、ないないっち、ちょっとその時間に欲しい、ね、そういうおかげを頂いたほううがいいのですよ、明日まで持ってきてくれんのなんてんいわんと、ね、私はそういうおかげを頂かせて頂くためにはです、ね、私は今日の地真水心と言う信心を本気で一つ身に付けていかなければいけないということです、ね。
本当に体を信用しては習い、本当に人との約束は誠実に守らなければいけん、ね、本当に教えを元にして商売が出来、仕事が出来る、もう、内の主人には頭が下がると思わず家内が頭が下げれる主人にならにゃいけん、内の家内にゃと主人が、ね、尊敬に与えするだけの家内にならなきゃいけん、ね、そこんところを今日大和さんは感じられたのじゃなかろうか、はぁー私ぐらいなもんが合楽に参ることはこの人達も知っちゃる、果たして、金光様の信心を頂いておる私がとあるじゃろうかと思うて、そこからの信心を地真水心という所に焦点を於いていかなければいけません。それを、最近では教祖の生きられ方、ね、教祖の在られ方ということを元にしてお話をしております、教祖はこのような時にはどういうふうにあられたであろうか、教祖の神様はどのようなこう言う時に感じられたであろうか、ね、その、教祖様の在られ方をです、私共の生き方の上に頂いていくと言う信心。
先ほど、秋永先生がここでお話をしておられました、金光大神覚書という、これは教祖の神様が生まれになる時から御晩年のころまでを神様から書き留めておけといわれて、それを書き残しておかれたものをです、実物大に一枚、一枚写真をとってあります、それに、大変な難しい字を書いてございますから、もう、いくえにも、それに、解釈が加えてございます。
これは読む読まないは別と致しまして、これはお道の信心をさせて頂く者の家の家の宝として、私共は頂かなければならん、教会には一冊づつご直会として今度頂いて参りました。それを、実費で、あの、本部の方から、大書きを頂くと言うことを、それを私、、もう、うかつにしておるもんですから、日にちギリギリ、ちょっとすぎておるらしいんですけれども、これは、もう、とにかくもう100冊買(こ)うたっちゃよかぞ私は今日申しました、ですけれども、その、お互いが、これは現金で申し込まなければならないのですから、それだけの願いを思いを持っておらなければいけません、ね、あれを見る事によってです、読ませていただく事によって、頂かせていただく事によってです、教祖の在られ方がです、彷彿とさせられるほどしのものでございます、ね。
ですから、私共がね、今日、地真水心と言うようなこと、天真爛漫といったようなおかげの事、ね、そのすべてをお供えになっておられたのが教祖の神様じゃなかろうかと私は思うのです。ですから、どうでも教祖の生きられ方をです、日にちの信心修行によって、日にちの信心の御理解のあの御教えによってです、生きられ方をいよいよ、自分のものにマスターしていくと言う信心をです、いよいよ頂かなければならんと思うのでございます。
そういう意味でです、皆さん、どうでもこうでもね、何を始末してからでもこの金光大神覚書だけは家に一冊づつお供えになられる事をお進め致します。900円ですから、値段も馬鹿ほどに安いお書物でございますしね、そして、お書物というようりも、あれは拝んでよいお書物なんです、ね、ですから、そういうおつもりでお買い求めを一つ頂きたいと思います。
今日、私が申します、今日皆さんに申しましたことは、今日、例えば、ご神前で、ね、頂きます、いわば、福の土ということ、ね、いわゆる、福の土と言うことは内での小槌ということである、いつまでも、はい、ガラガラといったら、それを間違いなしにはぶいて行けれるような徳を一つ身に受けたい、身に付けたい、それにはね、そこそ、のりじゃないけれども、ね、それこそ、浅草ののりじゃないけれども、ね、あれは浅草までは苦労という、ね、家は黒いが浅草では、米のまんまの肌をまくと言うような歌があります、ね、家は黒いということは苦労は苦労と言うことに通じる、ね、修行と言うことに通ずる、その修行なしには、米のまんまを肌に巻くということは出来ません、いわゆる、すべてがままになるようなおかげになってまいりません、この苦労を抜きにしておかげの頂けれるはずが無い、ね、はずがないというて、そういうおかげをいただけます、いただけますけれども、それでは今日私が言う、一人一人が億万長者を目指してと言うようなです、ね、いわゆる、おかげを頂きたいなら、そういうおかげの頂けれる信心を分からせて下さいと言う人たちの上にはです、ね、ただ、目先のおかげが成就したといったような事に止まらずに、本気で教祖の生きられ方がです、そのまま私共の生き方の上に現れてきて、誰が見てもどこから見ても、金光様の信奉者であると認められる、思われるほどしのおかげを頂いていきたい、そして、本当にです、私は思うのです、ね、合楽天国とでも申しましょうか、ね、本当に合楽にご縁のある人達がです、本当にそういうおかげを頂いて欲しい、本当の幸せになって欲しいと、ね、私は合楽の者はそう言うおかげを受けなければならない責任がある、そういうおかげを現していく責任がある、なぜそれをいうかと言うと、そういうおかげの頂けれる、例えば、ね、教えをね、日にち頂いておるからなのです。
そういうおかげが頂けれる教えがあるならばというて( ? )なっておる人達も、金光教の中にはどのぐらいたくさんおるか分からんけれども、それこそ、元の違ったところばかりを、こう、なでたりさすったりしたような信心からです、一歩も出ていない、ここで私が、例えば、なら、ね、及ばずながらです、段々、なら、福の土的なおかげを頂いてまいりましたんですから、ね、けれども、私は、今日、その、末永さんが頂いておりますと言う、ね、谷の寿ということを本気で願わなければ行けない、一人ひとりが億万長者になられる事のための信心をです、私はお取次させて頂かなければならんと言う、本当にそういう意欲に私は燃えたぎます。
ですから、皆さんもですね、やはりそういう願いに、を受けて立たせてもらう信心をです、頂いて欲しい、そこには、ね、例えば、このぐらいな修行はもろうともせんだけのと言う信心には浅草のあれじゃないけれどもです、ね、そういう苦労を苦労としないで修行として頂けて行けれる信心をいよいよ身につけていきたい、そして、ね、福岡の吉木辰二郎先生じゃないですけれども、ね、信者の一人ひとりが億万長者のおかげを頂きますように、それも、日勝り、月勝り、年勝り、代勝りに、おかげを頂いていっておるという事実をです、私共は体験をしながら、そこを目指していく信心にならなければいけないと思うのでございます。
どうぞ。
末永静行
2006年2月21日